私の持病「若年性関節リウマチ」

私の持病、それは「関節リウマチ」です。

関節リウマチが発症したのは5歳頃

ある朝起きた時、起き上がれませんでした。痛みと腫れが右膝を急に襲ったのです。言葉に言い表わせないぐらいの激痛と、お饅頭のようにパンパンに膨らんだ右膝。

関節リウマチ

泣き出した私を見て、慌てて電話する母。すぐに、近所にある市立病院でMRIを撮りました。原因は不明で、とりあえず痛み止めを処方されました。5歳だった私は訳も分からず、言われるがまま・・・。

それから1年間、毎月のようにMRIを撮りに行き、痛み止めを処方されるのみでした。

気付いたら膝の腫れもほぼ無く、痛みも無くなっていました。

5年後に再発

3人の兄弟が居る長女だった私。高額な医療費を支払う事が困難になっていたのもあり、通院するのをやめてしまいました。

それから、5年経ったある日。小学校4年生。当時10歳です。また膝が腫れだし、痛みが出始めたので、近所にある小さい内科で診てもらいました。

医師

その時、セカンドオピニオンとして、自宅から1時間掛かる県立病院を紹介されました。紹介された病院の先生に診てもらい、MRIを撮影しました。

そこで出た結果はまた「原因不明・病名不明」で、痛み止めを処方されるのみでした。

毎週の通院生活を送る中、半年後経ったある日。主治医から私の両親に、ある提案がされました。

「手術で半月板を削ってみませんか?原因不明ですが、半月板が邪魔をしているのかもしれないです。」

私は怖かったです。家族と離れて入院なんて。手術って・・・膝に何するの?やめて。

そう思っていましたが、大人は話を進めました。両親はもちろん完治する事を祈って。

3ヶ月の入院生活

何度も採血し、3ヶ月腕に点滴針が入ったままで、お風呂も好き勝手に入れず・・・。

そこで出会った斜め前のベッドの子。2つ下の女の子でした。

病院の大部屋

6人の相部屋で、同じ年頃の女の子ばかりの部屋だった事もあり、入院生活は辛いことばかりでは無いと感じました。

6人の中でも、斜め前の女の子と一番仲が良くなり、折り紙をしたり、トランプをして遊びました。

その子は白血病で毛は全て抜け落ち、毎日色違いのバンダナをしていました。

ムーンフェイスという副作用で、顔がパンパンに膨らんでいましたが、笑顔が可愛く、毎日明るく楽しそうに生きていました。

私よりも辛いはずなのに・・・凄いな。見習わないとな。子供ながらに思いました。

私の手術は無事終わりました。手術室のライトが眩しかったこと、全身麻酔が苦しかったこと、麻酔が解けた後の膝の激痛を今でも思い出します。

退院してからも、毎週学校を休んで通院をし、3ヶ月経った頃。

主治医からは、「落ち着いたので通院はもう大丈夫ですよ」との事でした。

12歳の時にまた痛みが・・・

それから2年後。小学校6年生。12歳でした。また痛みが出てきました。

以前の病院に行き、主治医を訪ねましたが、異動していました。そのため、またまた近所にある小さい内科に相談に行きました。セカンドオピニオンで以前とは違う病院を紹介してもらいました。

県立のこども病院でした。初めて行った次の日から早速、一週間の検査入院をしました。

医者

骨髄液を調べたり、たくさんの血液検査、色んな場所のMRIを撮影しました。結果は「若年性関節リウマチ」でした。

この結果は、病院の先生なら血液検査ですぐ分かる結果だったそうです。そして、医療費・薬代も成人になるまでは全額無料だったのです。

そこで騙されたと知った両親は本当に辛かったと思います。

私の病気のために、高額の医療費を何年もかけて支払い続けてきた両親。どの保険会社にも保険加入を断られ、それでも諦めなかった両親。

雨の日も風の日もどんなに家事や仕事で疲れていても、どんなに遠い病院でも、通院・面会してくれた両親。

本当に感謝しきれません。

病名が分かり、リウマチ用の薬を処方されました。

1ヶ月に1度の通院を8年間続け、20歳になりました。

大人になったので、「若年性」という言葉は取れ、「関節リウマチ」になりました。

通っていた「こども病院」から、大人のリウマチ科に通院する事になりました。今もこれからも通院していきます。

まだまだ終わりなんてありませんが、病気があっても明るく生きていこうと思っています。

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